寒天って何?
寒天は何から作られるの?
寒天(かんてん)は天草(てんぐさ)、オゴノリなどの紅藻類の粘液質を凍結させて、さらに乾燥したものです。 スーパーなどで一般的に売られている寒天は、冬の寒冷地での自然凍結と天日乾燥を繰り返して作られています。
寒天とゼリーは何か違うの?
スーパーなどで売っているゼリーと寒天は、何か違うのでしょうか。実は、ゼリーの原料であるゼラチンは、牛や豚から作られます。食用のゲル(ゼリー)の材料という点では見た目は似ていますが、化学的にはまったく異なる物質なのです。つまり、ゼリーのもとになるゼラチンは動物性で、寒天は植物性、ということができます。
寒天の歴史
寒天発祥−寒天の原型はトコロテン?
江戸時代の1685年に現在の京都で、旅館『美濃屋』の主人・美濃太郎左衛門という人が戸外にトコロテンを捨てたところ、しばらくすると寒さで凍結してしまいました。その後、何日か経ってから、その凍結したトコロテンが乾いているところを発見し、試しにこれでトコロテンをつくったところ、前よりも美しく海藻臭さが無いものができたのです。
これを、黄檗山萬福寺を開創した隠元禅師に試食してもらったところ、精進料理の食材として活用できると奨励されます。このとき、この食べ物についての名前を尋ねられましたが、まだ決めていなかったためその旨伝えると、隠元が「寒天」と命名したといわれています。
その後、大阪の宮田半兵衛が製法を改良し寒天を広げ、さらに天保年間に信州の行商人・小林粂左衛門が諏訪地方の農家の副業として寒天作りを広め、角寒天として定着します。諏訪地方は冬の寒さから寒天つくりに適しています。
その後、1881年にドイツ生まれの細菌学者ロベルト・コッホが寒天培地による細菌培養法を開発したため、寒天の国際的な需要が増えます。このため、第二次大戦前は寒天が日本の重要な輸出品でしたが、第二次世界大戦中は戦略的意味合いから輸出を禁止することになります。
寒天の供給を絶たれた諸外国は自力による寒天製造を試み、自然に頼らない工業的な寒天製造法を開発します。こうして作られたのが粉末寒天です。1946年になると日本でも研究が始まり、1970年頃には製造会社が35社にまで達します。しかし、2004年現在は5社ほどにまで減っています。
現在では、モロッコ、ポルトガル、スペイン、チリやアルゼンチンで良質の寒天が製造されています。